貧乏を十七字に標榜《ひょうぼう》して、馬の糞、馬の尿《いばり》を得意気に咏《えい》ずる発句《ほっく》と云うがある。芭蕉《ばしょう》が古池に蛙《かわず》を飛び込ますと、蕪村《ぶそん》が傘《からかさ》を担《かつ》いで紅葉《もみじ》を見に行く。明治になっては子規《しき》と云う男が脊髄病《せきずいびょう》を煩《わずら》って糸瓜《へちま》の水を取った。貧に誇る風流は今日《こんにち》に至っても尽きぬ。ただ小野さんはこれを卑《いや》しとする。
仙人は流霞《りゅうか》を餐《さん》し、朝※[#「さんずい+亢」、第3水準1-86-55]《ちょうこう》を吸う。詩人の食物は想像である。美くしき想像に耽《ふけ》るためには余裕がなくてはならぬ。美くしき想像を実現するためには財産がなくてはならぬ。二十世紀の詩趣と元禄の風流とは別物である。
文明の詩は金剛石《ダイヤモンド》より成る。紫《むらさき》より成る。薔薇《ばら》の香《か》と、葡萄《ぶどう》の酒と、琥珀《こはく》の盃《さかずき》より成る。冬は斑入《ふいり》の大理石を四角に組んで、漆《うるし》に似たる石炭に絹足袋《きぬたび》の底を煖《あたた》めるところにある。夏は氷盤《ひょうばん》に莓《いちご》を盛って、旨《あま》き血を、クリームの白きなかに溶《とか》し込むところにある。あるときは熱帯の奇蘭《きらん》を見よがしに匂わする温室にある。野路《のじ》や空、月のなかなる花野《はなの》を惜気《おしげ》も無く織り込んだ綴《つづれ》の丸帯にある。唐錦《からにしき》小袖《こそで》振袖《ふりそで》の擦《す》れ違うところにある。――文明の詩は金にある。小野さんは詩人の本分を完《まっと》うするために金を得ねばならぬ。
詩を作るより田を作れと云う。詩人にして産を成したものは古今を傾けて幾人もない。ことに文明の民は詩人の歌よりも詩人の行《おこない》を愛する。彼らは日ごと夜ごとに文明の詩を実現して、花に月に富貴《ふうき》の実生活を詩化しつつある。小野さんの詩は一文にもならぬ。
詩人ほど金にならん商買《しょうばい》はない。同時に詩人ほど金のいる商買もない。文明の詩人は是非共|他《ひと》の金で詩を作り、他の金で美的生活を送らねばならぬ事となる。小野さんがわが本領を解する藤尾《ふじお》に頼《たより》たくなるのは自然の数《すう》である。あすこには中以上の恒産《こうさん》があると聞く。腹違の妹を片づけるにただの箪笥《たんす》と長持で承知するような母親ではない。ことに欽吾《きんご》は多病である。実の娘に婿《むこ》を取って、かかる気がないとも限らぬ。折々に、解いて見ろと、わざとらしく結ぶ辻占《つじうら》があたればいつも吉《きち》である。急《せ》いては事を仕損ずる。小野さんはおとなしくして事件の発展を、自《おのずか》ら開くべき優曇華《うどんげ》の未来に待ち暮していた。小野さんは進んで仕掛けるような相撲《すもう》をとらぬ、またとれぬ男である。
天地はこの有望の青年に対して悠久《ゆうきゅう》であった。春は九十日の東風《とうふう》を限りなく得意の額《ひたい》に吹くように思われた。小野さんは優《やさ》しい、物に逆《さから》わぬ、気の長い男であった。――ところへ過去が押し寄せて来た。二十七年の長い夢と背《そびら》を向けて、西の国へさらりと流したはずの昔から、一滴の墨汁《ぼくじゅう》にも較《くら》ぶべきほどの暗い小《ちさ》い点が、明かなる都まで押し寄せて来た。押されるものは出る気がなくても前へのめりたがる。おとなしく時機を待つ覚悟を気長にきめた詩人も未来を急がねばならぬ。黒い点は頭の上にぴたりと留《とどま》っている。仰ぐとぐるぐる旋転《せんてん》しそうに見える。ぱっと散れば白雨《ゆうだち》が一度にくる。小野さんは首を縮めて馳《か》け出したくなる。
四五日は孤堂《こどう》先生の世話やら用事やらで甲野《こうの》の方へ足を向ける事も出来なかった。昨夜《ゆうべ》は出来ぬ工夫を無理にして、旧師への義理立てに、先生と小夜子《さよこ》を博覧会へ案内した。恩は昔受けても今受けても恩である。恩を忘れるような不人情な詩人ではない。一飯漂母《いっぱんひょうぼ》を徳とすと云う故事を孤堂先生から教わった事さえある。先生のためならばこれから先どこまでも力になるつもりでいる。人の難儀を救うのは美くしい詩人の義務である。この義務を果して、濃《こま》やかな人情を、得意の現在に、わが歴史の一部として、思出の詩料に残すのは温厚なる小野さんにもっとも恰好《かっこう》な優しい振舞である。ただ何事も金がなくては出来ぬ。金は藤尾と結婚せねば出来ぬ。結婚が一日早く成立すれば、一日早く孤堂先生の世話が思うように出来る。――小野さんは机の前でこう云う論理を発明した。
小夜子を捨てるためではない、孤堂先生の世話が出来るために、早く藤尾と結婚してしまわなければならぬ。――小野さんは自分の考《かんがえ》に間違はないはずだと思う。人が聞けば立派に弁解が立つと思う。小野さんは頭脳の明暸《めいりょう》な男である。
ここまで考えた小野さんはやがて机の上に置いてある、茶の表紙に豊かな金文字を入れた厚い書物を開《あ》けた。中からヌーボー式に青い柳を染めて赤瓦の屋根が少し見える栞《しおり》があらわれる。小野さんは左の手に栞を滑《すべ》らして、細かい活字を金縁の眼鏡《めがね》の奥から読み始める。五分《ごふん》ばかりは無事であったが、しばらくすると、いつの間《ま》にやら、黒い眼は頁《ページ》を離れて、筋違《すじかい》に日脚《ひあし》の伸びた障子《しょうじ》の桟《さん》を見詰めている。――四五日藤尾に逢《あ》わぬ、きっと何とか思っているに違ない。ただの時なら四五日が十日《とおか》でもさして心配にはならぬ。過去に追いつかれた今の身には梳《くしけず》る間も千金である。逢えば逢うたびに願の的《まと》は近くなる。逢わねば元の君と我にたぐり寄すべき恋の綱の寸分だも縮まる縁《えにし》はない。のみならず、魔は節穴《ふしあな》の隙《すき》にも射す。逢わぬ半日に日が落ちぬとも限らぬ、籠《こも》る一夜《ひとよ》に月は入《い》る。等閑《なおざり》のこの四五日に藤尾の眉《まゆ》にいかな稲妻《いなずま》が差しているかは夢|測《はか》りがたい。論文を書くための勉強は無論大切である。しかし藤尾は論文よりも大切である。小野さんはぱたりと書物を伏せた。
芭蕉布《ばしょうふ》の襖《ふすま》を開けると、押入の上段は夜具、下には柳行李《やなぎこうり》が見える。小野さんは行李の上に畳んである背広《せびろ》を出して手早く着換《きか》え終る。帽子は壁に主《ぬし》を待つ。がらりと障子を明けて、赤い鼻緒《はなお》の上草履《うわぞうり》に、カシミヤの靴足袋《くつたび》を無理に突き込んだ時、下女が来る。
「おや御出掛。少し御待ちなさいよ」
「何だ」と草履から顔を上げる。下女は笑っている。
「何か用かい」
「ええ」とやっぱり笑っている。
「何だ。冗談《じょうだん》か」と行こうとすると、卸《おろ》し立ての草履が片方《かたかた》足を離れて、拭き込んだ廊下を洋灯《ランプ》部屋の方へ滑って行く。
「ホホホホ余《あん》まり周章《あわて》るもんだから。御客様ですよ」
「誰だい」
「あら待ってた癖に空っとぼけて……」
「待ってた? 何を」
「ホホホホ大変|真面目《まじめ》ですね」と笑いながら、返事も待たず、入口へ引き返す。小野さんは気掛《きがかり》な顔をして障子の傍《そば》に上草履を揃《そろ》えたまま廊下の突き当りを眺《なが》めている。何が出てくるかと思う。焦茶《こげちゃ》の中折が鴨居《かもい》を越すほどの高い背を伸《の》して、薄暗い廊下のはずれに折目正しく着こなした背広の地味なだけに、胸開《むなあき》の狭い胴衣《チョッキ》から白い襯衣《シャツ》と白い襟《えり》が著るしく上品に見える。小野さんは姿よく着こなした衣裳《いしょう》を、見栄《みばえ》のせぬ廊下の片隅に、中ぶらりんに落ちつけて、光る眼鏡を斜めに、突き当りを眺めている。何が出てくるのかと思いながら眺めている。両手を洋袴《ズボン》の隠袋《かくし》に挿《さ》し込むのは落ちつかぬ時の、落ちついた姿である。
「そこを曲《まが》ると真直です」と云う下女の声が聞えたと思うと、すらりと小夜子の姿が廊下の端《はじ》にあらわれた。海老茶色《えびちゃいろ》の緞子《どんす》の片側が竜紋《りょうもん》の所だけ異様に光線を射返して見える。在来《ありきた》りの銘仙《めいせん》の袷《あわせ》を、白足袋《しろたび》の甲を隠さぬほどに着て、きりりと角を曲った時、長襦袢《ながじゅばん》らしいものがちらと色めいた。同時に遮《さえ》ぎるものもない中廊下に七歩の間隔を置いて、男女《なんにょ》の視線は御互の顔の上に落ちる。
男はおやと思う。姿勢だけは崩《くず》さない。女ははっと躊躇《ためら》う。やがて頬に差す紅《くれない》を一度にかくして、乱るる笑顔を肩共に落す。油を注《さ》さぬ黒髪に、漣《さざなみ》の琥珀《こはく》に寄る幅広の絹の色が鮮《あざやか》な翼を片鬢《かたびん》に張る。
「さあ」と小野さんは隔たる人を近く誘うような挨拶《あいさつ》をする。
「どちらへか御出掛で……」と立ちながら両手を前に重ねた女は、落した肩を、少しく浮かしたままで、気の毒そうに動かない。
「いえ何……まあ御這入《おはい》んなさい。さあ」と片足を部屋のうちへ引く。
「御免」と云いながら、手を重ねたまま擦足《すりあし》に廊下を滑《すべ》って来る。
男は全く部屋の中へ引き込んだ。女もつづいて這入《はい》る。明かなる日永の窓は若き二人に若き対話を促《うな》がす。
「昨夜は御忙《おいそが》しいところを……」と女は入口に近く手をつかえる。
「いえ、さぞ御疲でしたろう。どうです、御気分は。もうすっかり好いですか」
「はあ、御蔭《おかげ》さまで」と云う顔は何となく窶《やつ》れている。男はちょっと真面目になった。女はすぐ弁解する。
「あんな人込《ひとごみ》へは滅多《めった》に出つけた事がないもんですから」
文明の民は驚ろいて喜ぶために博覧会を開く。過去の人は驚ろいて怖《こわ》がるためにイルミネーションを見る。
「先生はどうですか」
小夜子は返事を控えて淋《さみ》しく笑った。
「先生も雑沓《ざっとう》する所が嫌《きらい》でしたね」
「どうも年を取ったもんですから」と気の毒そうに、相手から眼を外《はず》して、畳の上に置いてある埋木《うもれぎ》の茶托を眺《なが》める。京焼の染付茶碗《そめつけぢゃわん》はさっきから膝頭《ひざがしら》に載《の》っている。
「御迷惑でしたろう」と小野さんは隠袋《ポッケット》から煙草入を取り出す。闇《やみ》を照す月の色に富士と三保の松原が細かに彫ってある。その松に緑の絵の具を使ったのは詩人の持物としては少しく俗である。派出《はで》を好む藤尾の贈物かも知れない。
「いえ、迷惑だなんて。こっちから願って置いて」と小夜子は頭から小野さんの言葉を打ち消した。男は煙草入を開く。裏は一面の鍍金《ときん》に、銀《しろかね》の冴《さ》えたる上を、花やかにぱっと流す。淋しき女は見事だと思う。
「先生だけなら、もっと閑静な所へ案内した方が好かったかも知れませんね」
忙しがる小野を無理に都合させて、好《す》かぬ人込へわざわざ出掛けるのも皆《みんな》自分が可愛いからである。済まぬ事には人込は自分も嫌である。せっかくの思に、袖《そで》振り交わして、長閑《のどか》な歩《あゆみ》を、春の宵《よい》に併《なら》んで移す当人は、依然として近寄れない。小夜子は何と返事をしていいか躊躇《ためら》った。相手の親切に気兼をして、先方の心持を悪くさせまいと云う世態《せたい》染みた料簡《りょうけん》からではない。小夜子の躊躇ったのには、もう少し切ない意味が籠《こも》っている。
「先生にはやはり京都の方が好くはないですか」と女の躊躇った気色《けしき》をどう解釈したか、小野さんは再び問い掛けた。
「東京へ来る前は、しきりに早く移りたいように云ってたんですけれども、来て見るとやはり住み馴《な》れた所が好いそうで」
「そうですか」と小野さんはおとなしく受けたが、心の中《うち》ではそれほど性《しょう》に合わない所へなぜ出て来たのかと、自分の都合を考えて多少馬鹿らしい気もする。
「あなたは」と聞いて見る。
小夜子はまた口籠《くちごも》る。東京が好いか悪いかは、目の前に、西洋の臭《におい》のする煙草を燻《くゆ》らしている青年の心掛一つできまる問題である。船頭が客人に、あなたは船が好きですかと聞いた時、好きも嫌《きらい》も御前の舵《かじ》の取りよう一つさと答えなければならない場合がある。責任のある船頭にこんな質問を掛けられるほど腹の立つ事はないように、自分の好悪《こうお》を支配する人間から、素知らぬ顔ですき[#「すき」に傍点]かきらい[#「きらい」に傍点]かを尋ねられるのは恨《うら》めしい。小夜子はまた口籠る。小野さんはなぜこう豁達《はきはき》せぬのかと思う。
胴衣《チョッキ》の隠袋《かくし》から時計を出して見る。
「どちらへか御出掛で」と女はすぐ悟った。
「ええ、ちょっと」と旨《うま》い具合に渡し込む。
女はまた口籠る。男は少し焦慮《じれった》くなる。藤尾が待っているだろう。――しばらくは無言である。
「実は父が……」と小夜子はやっとの思で口を切った。
「はあ、何か御用ですか」
「いろいろ買物がしたいんですが……」
「なるほど」
「もし、御閑《おひま》ならば、小野さんにいっしょに行っていただいて勧工場《かんこうば》ででも買って来いと申しましたから」
「はあ、そうですか。そりゃ、残念な事で。ちょうど今から急いで出なければならない所があるもんですからね。――じゃ、こうしましょう。品物の名を聞いて置いて、私《わたし》が帰りに買って晩に持って行きましょう」
「それでは御気の毒で……」
「何構いません」
父の好意は再び水泡《すいほう》に帰した。小夜子は悄然《しょうぜん》として帰る。小野さんは、脱いだ帽子を頭へ載《の》せて手早く表へ出る。――同時に逝《ゆ》く春の舞台は廻る。
紫を辛夷《こぶし》の弁《はなびら》に洗う雨重なりて、花はようやく茶に朽《く》ちかかる椽《えん》に、干《ほ》す髪の帯を隠して、動かせば背に陽炎《かげろう》が立つ。黒きを外に、風が嬲《なぶ》り、日が嬲り、つい今しがたは黄な蝶《ちょう》がひらひらと嬲りに来た。知らぬ顔の藤尾は、内側を向いている。くっきりと肉の締った横顔は、後《うし》ろからさす日の影に、耳を蔽《おお》うて肩に流す鬢《びん》の影に、しっとりとして仄《ほのか》である。千筋《ちすじ》にぎらついて深き菫《すみれ》を一面に浴せる肩を通り越して、向う側はと覗《のぞ》き込むとき、眩《まば》ゆき眼はしんと静まる。夕暮にそれかと思う蓼《たで》の花の、白きを人は潜むと云った。髪多く余る光を椽にこぼすこなたの影に、有るか無きかの細《ほっそ》りした顔のなかを、濃く引き残したる眉の尾のみがたしかである。眉の下なる切長の黒い眼は何を語るか分らない。藤尾は寄木《よせき》の小机に肱《ひじ》を持たせて俯向《うつむ》いている。
心臓の扉を黄金《こがね》の鎚《つち》に敲《たた》いて、青春の盃《さかずき》に恋の血潮を盛る。飲まずと口を背《そむ》けるものは片輪である。月傾いて山を慕い、人老いて妄《みだ》りに道を説く。若き空には星の乱れ、若き地《つち》には花吹雪《はなふぶき》、一年を重ねて二十に至って愛の神は今が盛《さかり》である。緑濃き黒髪を婆娑《ばさ》とさばいて春風《はるかぜ》に織る羅《うすもの》を、蜘蛛《くも》の囲《い》と五彩の軒に懸けて、自《みずから》と引き掛《かか》る男を待つ。引き掛った男は夜光の璧《たま》を迷宮に尋ねて、紫に輝やく糸の十字万字に、魂を逆《さかしま》にして、後《のち》の世までの心を乱す。女はただ心地よげに見やる。耶蘇教《ヤソきょう》の牧師は救われよという。臨済《りんざい》、黄檗《おうばく》は悟れと云う。この女は迷えとのみ黒い眸《ひとみ》を動かす。迷わぬものはすべてこの女の敵《かたき》である。迷うて、苦しんで、狂うて、躍《おど》る時、始めて女の御意はめでたい。欄干《らんかん》に繊《ほそ》い手を出してわん[#「わん」に傍点]と云えという。わん[#「わん」に傍点]と云えばまたわん[#「わん」に傍点]と云えと云う。犬は続け様にわん[#「わん」に傍点]と云う。女は片頬《かたほ》に笑《えみ》を含む。犬はわん[#「わん」に傍点]と云い、わん[#「わん」に傍点]と云いながら右へ左へ走る。女は黙っている。犬は尾を逆《さかしま》にして狂う。女はますます得意である。――藤尾の解釈した愛はこれである。
石仏《せきぶつ》に愛なし、色は出来ぬものと始から覚悟をきめているからである。愛は愛せらるる資格ありとの自信に基《もとづ》いて起る。ただし愛せらるるの資格ありと自信して、愛するの資格なきに気のつかぬものがある。この両資格は多くの場合において反比例する。愛せらるるの資格を標榜《ひょうぼう》して憚《はば》からぬものは、いかなる犠牲をも相手に逼《せま》る。相手を愛するの資格を具《そな》えざるがためである。※[#「目+分」、第3水準1-88-77]《へん》たる美目《びもく》に魂を打ち込むものは必ず食われる。小野さんは危《あやう》い。倩《せん》たる巧笑にわが命を托するものは必ず人を殺す。藤尾は丙午《ひのえうま》である。藤尾は己《おの》れのためにする愛を解する。人のためにする愛の、存在し得るやと考えた事もない。詩趣はある。道義はない。
愛の対象は玩具《おもちゃ》である。神聖なる玩具である。普通の玩具は弄《もてあそ》ばるるだけが能である。愛の玩具は互に弄ぶをもって原則とする。藤尾は男を弄ぶ。一毫《いちごう》も男から弄ばるる事を許さぬ。藤尾は愛の女王である。成立つものは原則を外《はず》れた恋でなければならぬ。愛せらるる事を専門にするものと、愛する事のみを念頭に置くものとが、春風《はるかぜ》の吹き回しで、旨《あま》い潮の満干《みちひき》で、はたりと天地の前に行き逢《あ》った時、この変則の愛は成就する。
我《が》を立てて恋をするのは、火事頭巾《かじずきん》を被《かぶ》って、甘酒を飲むようなものである。調子がわるい。恋はすべてを溶《と》かす。角張《かどば》った絵紙鳶《えだこ》も飴細工《あめざいく》であるからは必ず流れ出す。我は愛の水に浸して、三日三晩の長きに渉《わた》ってもふやける[#「ふやける」に傍点]気色《けしき》を見せぬ。どこまでも堅く控えている。我を立てて恋をするものは氷砂糖である。
沙翁《シェクスピア》は女を評して脆《もろ》きは汝が名なりと云った。脆きが中に我を通す昂《あが》れる恋は、炊《かし》ぎたる飯の柔らかきに御影《みかげ》の砂を振り敷いて、心を許す奥歯をがりがりと寒からしむ。噛《か》み締めるものに護謨《ゴム》の弾力がなくては無事には行かぬ。我の強い藤尾は恋をするために我のない小野さんを択《えら》んだ。蜘蛛の囲にかかる油蝉《あぶらぜみ》はかかっても暴れて行かぬ。時によると網を破って逃げる事がある。宗近《むねちか》君を捕《と》るは容易である。宗近君を馴《な》らすは藤尾といえども困難である。我《が》の女は顋《あご》で相図をすれば、すぐ来るものを喜ぶ。小野さんはすぐ来るのみならず、来る時は必ず詩歌《しいか》の璧《たま》を懐《ふところ》に抱《いだ》いて来る。夢にだもわれを弄《もてあそ》ぶの意思なくして、満腔《まんこう》の誠を捧げてわが玩具《おもちゃ》となるを栄誉と思う。彼を愛するの資格をわれに求むる事は露知らず、ただ愛せらるべき資格を、わが眼に、わが眉《まゆ》に、わが唇《くちびる》に、さてはわが才に認めてひたすらに渇仰《かつごう》する。藤尾の恋は小野さんでなくてはならぬ。
唯々《いい》として来《く》るべきはずの小野さんが四五日見えぬ。藤尾は薄き粧《よそおい》を日ごとにして我《が》の角《かど》を鏡の裡《うち》に隠していた。その五日目の昨夕《ゆうべ》! 驚くうちは楽《たのしみ》がある! 女は仕合せなものだ! 嘲《あざけり》の鈴《れい》はいまだに耳の底に鳴っている。小机に肱《ひじ》を持たしたまま、燃ゆる黒髪を照る日に打たして身動もせぬ。背を椽《えん》に、顔を影なる居住《いずまい》は、考え事に明海《あかるみ》を忌《い》む、昔からの掟《おきて》である。
縄なくて十重《とえ》に括《くく》る虜《とりこ》は、捕われたるを誇顔《ほこりがお》に、麾《さしまね》けば来り、指《ゆびさ》せば走るを、他意なしとのみ弄びたるに、奇麗な葉を裏返せば毛虫がいる。思う人と併《なら》んで姿見に向った時、大丈夫写るは君と我のみと、神|懸《か》けて疑わぬを、見れば間違った。男はそのままの男に、寄り添うは見た事もない他人である。驚くうちは楽がある! 女は仕合せなものだ!
冴《さ》えぬ白さに青味を含む憂顔《うれいがお》を、三五の卓を隔てて電灯の下《もと》に眺めた時は、――わが傍《かたえ》ならでは、若き美くしき女に近づくまじきはずの男が、気遣《きづか》わし気《げ》に、また親し気に、この人と半々に洋卓《テーブル》の角を回って向き合っていた時は、――撞木《しゅもく》で心臓をすぽりと敲《たた》かれたような気がした。拍子《ひょうし》に胸の血はことごとく頬に潮《さ》す。紅《くれない》は云う、赫《かっ》としてここに躍《おど》り上がると。
我は猛然として立つ。その儀ならばと云う。振り向いてもならぬ。不審を打ってもならぬ。一字の批評も不見識である。有《あれ》ども無きがごとくに装《よそお》え。昂然《こうぜん》として水準以下に取り扱え。――気がついた男は面目を失うに違ない。これが復讐《ふくしゅう》である。
我の女はいざと云う間際《まぎわ》まで心細い顔をせぬ。恨《うら》むと云うは頼る人に見替られた時に云う。侮《あなどり》に対する適当な言葉は怒《いかり》である。無念と嫉妬《しっと》を交《ま》ぜ合せた怒である。文明の淑女は人を馬鹿にするを第一義とする。人に馬鹿にされるのを死に優《まさ》る不面目と思う。小野さんはたしかに淑女を辱《はずか》しめた。
愛は信仰より成る。信仰は二つの神を念ずるを許さぬ。愛せらるべき、わが資格に、帰依《きえ》の頭《こうべ》を下げながら、二心《ふたごころ》の背を軽薄の街《ちまた》に向けて、何の社《やしろ》の鈴を鳴らす。牛頭《ごず》、馬骨《ばこつ》、祭るは人の勝手である。ただ小野さんは勝手な神に恋の御賽銭《おさいせん》を投げて、波か字かの辻占《つじうら》を見てはならぬ。小野さんは、この黒い眼から早速《さそく》に放つ、見えぬ光りに、空かけて織りなした無紋の網に引き掛った餌食《えじき》である。外へはやられぬ。神聖なる玩具として生涯《しょうがい》大事にせねばならぬ。
神聖とは自分一人が玩具《おもちゃ》にして、外の人には指もささせぬと云う意味である。昨夕《ゆうべ》から小野さんは神聖でなくなった。それのみか向うでこっちを玩具にしているかも知れぬ。――肱《ひじ》を持たして、俯向《うつむ》くままの藤尾の眉が活きて来る。
玩具にされたのならこのままでは置かぬ。我《が》は愛を八《や》つ裂《ざき》にする。面当《つらあて》はいくらもある。貧乏は恋を乾干《ひぼし》にする。富貴《ふうき》は恋を贅沢《ぜいたく》にする。功名は恋を犠牲にする。我は未練な恋を踏みつける。尖《とが》る錐《きり》に自分の股《もも》を刺し通して、それ見ろと人に示すものは我である。自己がもっとも価《あたい》ありと思うものを捨てて得意なものは我である。我が立てば、虚栄の市にわが命さえ屠《ほふ》る。逆《さか》しまに天国を辞して奈落の暗きに落つるセータンの耳を切る地獄の風は我《プライド》! 我《プライド》! と叫ぶ。――藤尾は俯向《うつむき》ながら下唇を噛《か》んだ。
逢《あ》わぬ四五日は手紙でも出そうかと思っていた。昨夕《ゆうべ》帰ってからすぐ書きかけて見たが、五六行かいた後で何をとずたずたに引き裂いた。けっして書くまい。頭を下げて先方から折れて出るのを待っている。だまっていればきっと出てくる。出てくれば謝罪《あやま》らせる。出て来なければ? 我はちょっと困った。手の届かぬところに我を立てようがない。――なに来る、きっと来る、と藤尾は口の中《うち》で云う。知らぬ小野さんははたして我に引かれつつある。来つつある。
よし来ても昨夜《ゆうべ》の女の事は聞くまい。聞けばあの女を眼中に置く事になる。昨夕食卓で兄と宗近が妙な合言葉を使っていた。あの女と小野の関係を聞えよがしに、自分を焦《じ》らす料簡《りょうけん》だろう。頭を下げて聞き出しては我が折れる。二人で寄ってたかって人を馬鹿にするつもりならそれでよい。二人が仄《ほのめ》かした事実の反証を挙げて鼻をあかしてやる。
小野はどうしても詫《あやま》らせなければならぬ。つらく当って詫らせなければならぬ。同時に兄と宗近も詫らせなければならぬ。小野は全然わがもので、調戯面《からかいづら》にあてつけた二人の悪戯《いたずら》は何の役にも立たなかった、見ろこの通りと親しいところを見せつけて、鼻をあかして詫らせなければならぬ。――藤尾は矛盾した両面を我の一字で貫《つらぬ》こうと、洗髪《あらいがみ》の後《うしろ》に顔を埋《うず》めて考えている。
静かな椽《えん》に足音がする。背の高い影がのっと現われた。絣《かすり》の袷《あわせ》の前が開いて、肌につけた鼠色《ねずみいろ》の毛織の襯衣《シャツ》が、長い三角を逆様《さかさま》にして胸に映《うつ》る上に、長い頸《くび》がある、長い顔がある。顔の色は蒼《あお》い。髪は渦《うず》を捲《ま》いて、二三ヵ月は刈らぬと見える。四五日は櫛《くし》を入れないとも思われる。美くしいのは濃い眉《まゆ》と口髭《くちひげ》である。髭の質《たち》は極《きわ》めて黒く、極めて細い。手を入れぬままに自然の趣を具《そな》えて何となく人柄に見える。腰は汚《よご》れた白縮緬《しろちりめん》を二重《ふたえ》に周《まわ》して、長過ぎる端《はじ》を、だらりと、猫じゃらしに、右の袂《たもと》の下で結んでいる。裾《すそ》は固《もと》より合わない。引き掛けた法衣《ころも》のようにふわついた下から黒足袋《くろたび》が見える。足袋だけは新らしい。嗅《か》げば紺《こん》の匂がしそうである。古い頭に新らしい足の欽吾《きんご》は、世を逆様に歩いて、ふらりと椽側《えんがわ》へ出た。
拭き込んだ細かい柾目《まさめ》の板が、雲斎底《うんさいぞこ》の影を写すほどに、軽く足音を受けた時に、藤尾の背中に背負《せお》った黒い髪はさらりと動いた。途端に椽に落ちた紺足袋が女の眼に這入《はい》る。足袋の主は見なくても知れている。
紺足袋は静かに歩いて来た。
「藤尾」
声は後《うしろ》でする。雨戸の溝《みぞ》をすっくと仕切った栂《つが》の柱を背に、欽吾は留ったらしい。藤尾は黙っている。
「また夢か」と欽吾は立ったまま、癖のない洗髪《あらいがみ》を見下《みおろ》した。
「何です」と云いなり女は、顔を向け直した。赤棟蛇《やまかがし》の首を擡《もた》げた時のようである。黒い髪に陽炎《かげろう》を砕く。
男は、眼さえ動かさない。蒼《あお》い顔で見下《みおろ》している。向き直った女の額をじっと見下している。
「昨夕《ゆうべ》は面白かったかい」
女は答える前に熱い団子をぐいと嚥《の》み下《くだ》した。
「ええ」と極めて冷淡な挨拶《あいさつ》をする。
「それは好かった」と落ちつき払って云う。
女は急《せ》いて来る。勝気な女は受太刀だなと気がつけば、すぐ急いて来る。相手が落ちついていればなお急いて来る。汗を流して斬り込むならまだしも、斬り込んで置きながら悠々《ゆうゆう》として柱に倚《よ》って人を見下しているのは、酒を飲みつつ胡坐《あぐら》をかいて追剥《おいはぎ》をすると同様、ちと虫がよすぎる。
「驚くうちは楽《たのしみ》があるんでしょう」
女は逆《さか》に寄せ返した。男は動じた様子もなく依然として上から見下している。意味が通じた気色《けしき》さえ見えぬ。欽吾の日記に云う。――ある人は十銭をもって一円の十分一《じゅうぶいち》と解釈し、ある人は十銭をもって一銭の十倍と解釈すと。同じ言葉が人に依って高くも低くもなる。言葉を用いる人の見識次第である。欽吾と藤尾の間にはこれだけの差がある。段が違うものが喧嘩《けんか》をすると妙な現象が起る。
姿勢を変えるさえ嬾《もの》うく見えた男はただ
「そうさ」と云ったのみである。
「兄さんのように学者になると驚きたくっても、驚ろけないから楽がないでしょう」
「楽《たのしみ》?」と聞いた。楽の意味が分ってるのかと云わぬばかりの挨拶と藤尾は思う。兄はやがて云う。
「楽はそうないさ。その代り安心だ」
「なぜ」
「楽のないものは自殺する気遣《きづかい》がない」
藤尾には兄の云う事がまるで分らない。蒼い顔は依然として見下している。なぜと聞くのは不見識だから黙っている。
「御前のように楽《たのしみ》の多いものは危ないよ」
藤尾は思わず黒髪に波を打たした。きっと見上げる上から兄は分ったかとやはり見下《みおろ》している。何事とも知らず「埃及《エジプト》の御代《みよ》しろし召す人の最後ぞ、かくありてこそ」と云う句を明かに思い出す。
「小野は相変らず来るかい」
藤尾の眼は火打石を金槌《かなづち》の先で敲《たた》いたような火花を射る。構わぬ兄は
「来ないかい」と云う。
藤尾はぎりぎりと歯を噛《か》んだ。兄は談話を控えた。しかし依然として柱に倚《よ》っている。
「兄さん」
「何だい」とまた見下す。
「あの金時計は、あなたには渡しません」
「おれに渡さなければ誰に渡す」
「当分|私《わたし》があずかって置きます」
「当分御前があずかる? それもよかろう。しかしあれは宗近にやる約束をしたから……」
「宗近さんに上げる時には私から上げます」
「御前から」と兄は少し顔を低くして妹の方へ眼を近寄せた。
「私から――ええ私から――私から誰かに上げます」と寄木《よせき》の机に凭《もた》せた肘《ひじ》を跳《は》ねて、すっくり立ち上がる。紺と、濃い黄と、木賊《とくさ》と海老茶《えびちゃ》の棒縞《ぼうじま》が、棒のごとく揃《そろ》って立ち上がる。裾《すそ》だけが四色《よいろ》の波のうねりを打って白足袋の鞐《こはぜ》を隠す。
「そうか」
と兄は雲斎底《うんさいぞこ》の踵《かかと》を見せて、向《むこう》へ行ってしまった。
甲野さんが幽霊のごとく現われて、幽霊のごとく消える間に、小野さんは近づいて来る。いくたびの降る雨に、土に籠《こも》る青味を蒸《む》し返して、湿《しめ》りながらに暖かき大地を踏んで近づいて来る。磨《みが》き上げた山羊《やぎ》の皮に被《かむ》る埃《ほこり》さえ目につかぬほどの奇麗《きれい》な靴を、刻み足に運ばして甲野家の門に近づいて来る。
世を投《な》げ遣《や》りのだらりとした姿の上に、義理に着る羽織の紐《ひも》を丸打に結んで、細い杖に本来空《ほんらいくう》の手持無沙汰《てもちぶさた》を紛《まぎ》らす甲野さんと、近づいてくる小野さんは塀《へい》の側《そば》でぱたりと逢った。自然は対照を好む。
「どこへ」と小野さんは帽に手を懸けて、笑いながら寄ってくる。
「やあ」と受け応《こたえ》があった。そのまま洋杖《ステッキ》は動かなくなる。本来は洋杖さえ手持無沙汰なものである。
「今、ちょっと行こうと思って……」
「行きたまえ。藤尾はいる」と甲野さんは素直に相手を通す気である。小野さんは躊躇《ちゅうちょ》する。
「君はどこへ」とまた聞き直す。君の妹には用があるが、君はどうなっても構わないと云う態度は小野さんの取るに忍びざるところである。
「僕か、僕はどこへ行くか分らない。僕がこの杖を引っ張り廻すように、何かが僕を引っ張り廻すだけだ」
「ハハハハだいぶ哲学的だね。――散歩?」と下から覗《のぞ》き込《こ》んだ。
「ええ、まあ……好い天気だね」
「好い天気だ。――散歩より博覧会はどうだい」
「博覧会か――博覧会は――昨夕《ゆうべ》見た」
「昨夕行ったって?」と小野さんの眼は一時に坐る。
「ああ」
小野さんはああ[#「ああ」に傍点]の後から何か出て来るだろうと思って、控えている。時鳥《ほととぎす》は一声で雲に入ったらしい。
「一人で行ったのかい」と今度はこちらから聞いて見る。
「いいや。誘われたから行った」
甲野さんにははたして連《つれ》があった。小野さんはもう少し進んで見なければ済まないようになる。
「そうかい、奇麗だったろう」とまず繋《つな》ぎに出して置いて、そのうちに次の問を考える事にする。ところが甲野さんは簡単に
「うん」の一句で答をしてしまう。こっちは考のまとまらないうち、すぐ何とか付けなければならぬ。始めは「誰と?」と聞こうとしたが、聞かぬ前にいや「何時《なんじ》頃?」の方が便宜《べんぎ》ではあるまいかと思う。いっそ「僕も行った」と打って出ようか知ら、そうしたら先方の答次第で万事が明暸《めいりょう》になる。しかしそれもいらぬ事だ。――小野さんは胸の上、咽喉《のど》の奥でしばらく押問答をする。その間に甲野さんは細い杖の先を一尺ばかり動かした。杖のあとに動くものは足である。この相図をちらりと見て取った小野さんはもう駄目だ、よそうと咽喉の奥でせっかくの計画をほごしてしまう。爪の垢《あか》ほど先《せん》を制せられても、取り返しをつけようと意思を働かせない人は、教育の力では翻《ひるが》えす事の出来ぬ宿命論者である。
「まあ行きたまえ」とまた甲野さんが云う。催促されるような気持がする。運命が左へと指図《さしず》をしたらしく感じた時、後《うしろ》から押すものがあれば、すぐ前へ出る。
「じゃあ……」と小野さんは帽子をとる。
「そうか、じゃあ失敬」と細い杖は空間を二尺ばかり小野さんから遠退《とおの》いた。一歩門へ近寄った小野さんの靴は同時に一歩杖に牽《ひ》かれて故《もと》へ帰る。運命は無限の空間に甲野さんの杖と小野さんの足を置いて、一尺の間隔を争わしている。この杖とこの靴は人格である。我らの魂は時あって靴の踵《かかと》に宿り、時あって杖の先に潜む。魂を描《えが》く事を知らぬ小説家は杖と靴とを描く。
一歩の空間を行き尽した靴は、光る頭《こうべ》を回《めぐ》らして、棄身《すてみ》に細い体を大地に托した杖に問いかけた。
「藤尾さんも、昨夕いっしょに行ったのかい」
棒のごとく真直《まっすぐ》に立ち上がった杖は答える。
「ああ、藤尾も行った。――ことに因《よ》ると今日は下読が出来ていないかも知れない」
細い杖は地に着くがごとく、また地を離るるがごとく、立つと思えば傾むき、傾むくと思えば立ち、無限の空間を刻んで行く。光る靴は突き込んだ頭に薄い泥を心持わるく被《かぶ》ったまま、遠慮勝に門内の砂利を踏んで玄関に掛《か》かる。
小野さんが玄関に掛かると同時に、藤尾は椽の柱に倚《よ》りながら、席に返らぬ爪先《つまさき》を、雨戸引く溝の上に翳《かざ》して、手広く囲い込んだ庭の面を眺《なが》めている。藤尾が椽の柱に倚りかかるよほど前から、謎《なぞ》の女は立て切った一間《ひとま》のうちで、鳴る鉄瓶《てつびん》を相手に、行く春の行き尽さぬ間《ま》を、根限《こんかぎ》り考えている。
欽吾はわが腹を痛めぬ子である。――謎の女の考《かんがえ》は、すべてこの一句から出立する。この一句を布衍《ふえん》すると謎の女の人生観になる。人生観を増補すると宇宙観が出来る。謎の女は毎日鉄瓶の音《ね》を聞いては、六畳敷の人生観を作り宇宙観を作っている。人生観を作り宇宙観を作るものは閑《ひま》のある人に限る。謎の女は絹布団の上でその日その日を送る果報な身分である。
居住《いずまい》は心を正す。端然《たんねん》と恋に焦《こが》れたもう雛《ひいな》は、虫が喰うて鼻が欠けても上品である。謎の女はしとやかに坐る。六畳敷の人生観もまたしとやかでなくてはならぬ。
老いて夫《おっと》なきは心細い。かかるべき子なきはなおさら心細い。かかる子が他人なるは心細い上に忌《いま》わしい。かかるべき子を持ちながら、他人にかからねばならぬ掟《おきて》は忌わしいのみか情《なさ》けない。謎の女は自《みずから》を情ない不幸の人と信じている。
他人でも合わぬとは限らぬ。醤油《しょうゆ》と味淋《みりん》は昔から交っている。しかし酒と煙草をいっしょに呑《の》めば咳が出る。親の器《うつわ》の方円に応じて、盛らるる水の調子を合わせる欽吾ではない。日を経《へ》れば日を重ねて隔《へだた》りの関が出来る。この頃は江戸の敵《かたき》に長崎で巡《めぐ》り逢《あ》ったような心持がする。学問は立身出世の道具である。親の機嫌に逆《さから》って、師走《しわす》正月の拍子《ひょうし》をはずすための修業ではあるまい。金を掛けてわざわざ変人になって、学校を出ると世間に通用しなくなるのは不名誉である。外聞がわるい。嗣子《しし》としては不都合と思う。こんなものに死水《しにみず》を取って貰う気もないし、また取るほどの働のあるはずがない。
幸《さいわい》と藤尾がいる。冬を凌《しの》ぐ女竹《めだけ》の、吹き寄せて夜《よ》を積る粉雪《こゆき》をぴんと撥《は》ねる力もある。十目《じゅうもく》を街頭に集むる春の姿に、蝶《ちょう》を縫い花を浮かした派出《はで》な衣裳《いしょう》も着せてある。わが子として押し出す世間は広い。晴れた天下を、晴れやかに練り行くを、迷うは人の随意である。三国一の婿《むこ》と名乗る誰彼を、迷わしてこそ、焦《じ》らしてこそ、育て上げた母の面目は揚《あが》る。海鼠《なまこ》の氷ったような他人にかかるよりは、羨《うらやま》しがられて華麗《はなやか》に暮れては明ける実の娘の月日に添うて墓に入るのが順路である。
蘭《らん》は幽谷《ゆうこく》に生じ、剣は烈士に帰す。美くしき娘には、名ある聟《むこ》を取らねばならぬ。申込はたくさんあるが、娘の気に入らぬものは、自分の気に入らぬものは、役に立たぬ。指の太さに合わぬ指輪は貰っても捨てるばかりである。大き過ぎても小さ過ぎても聟には出来ぬ。したがって聟は今日《こんにち》まで出来ずにいた。燦《さん》として群がるもののうちにただ一人小野さんが残っている。小野さんは大変学問のできる人だと云う。恩賜の時計をいただいたと云う。もう少し立つと博士になると云う。のみならず愛嬌《あいきょう》があって親切である。上品で調子がいい。藤尾の聟として恥ずかしくはあるまい。世話になっても心持がよかろう。
小野さんは申分《もうしぶん》のない聟である。ただ財産のないのが欠点である。しかし聟の財産で世話になるのは、いかに気に入った男でも幅が利《き》かぬ。無一物の某《それがし》を入れて、おとなしく嫁姑《よめしゅうとめ》を大事にさせるのが、藤尾の都合にもなる、自分のためでもある。一つ困る事はその財産である。夫《おっと》が外国で死んだ四ヵ月後の今日は当然欽吾の所有に帰《き》してしまった。魂胆はここから始まる。
欽吾は一文の財産もいらぬと云う。家も藤尾にやると云う。義理の着物を脱いで便利の赤裸《はだか》になれるものなら、降って湧《わ》いた温泉へ得たり賢こしと飛び込む気にもなる。しかし体裁に着る衣裳《いしょう》はそう無雑作《むぞうさ》に剥《は》ぎ取れるものではない。降りそうだから傘《かさ》をやろうと投げ出した時、二本あれば遠慮をせぬが世間であるが、見す見すくれる人が濡《ぬ》れるのを構わずにわがままな手を出すのは人の思《おも》わくもある。そこに謎《なぞ》が出来る。くれると云うのは本気で云う嘘《うそ》で、取らぬ顔つきを見せるのも隣近所への申訳に過ぎない。欽吾の財産を欽吾の方から無理に藤尾に譲るのを、厭々《いやいや》ながら受取った顔つきに、文明の手前を繕《つくろ》わねばならぬ。そこで謎が解《と》ける。くれると云うのを、くれたくない意味と解いて、貰う料簡《りょうけん》で貰わないと主張するのが謎の女である。六畳敷の人生観はすこぶる複雑である。
謎の女は問題の解決に苦しんでとうとう六畳敷を出た。貰いたいものを飽《あ》くまで貰わないと主張して、しかも一日も早く貰ってしまう方法は微分積分でも容易に発見の出来ぬ方法である。謎の女が苦し紛《まぎ》れの屈託顔に六畳敷を出たのは、焦慮《じれった》いが高《こう》じて、布団の上に坐《い》たたまれないからである。出て見ると春の日は存外|長閑《のどか》で、平気に鬢《びん》を嬲《なぶ》る温風はいやに人を馬鹿にする。謎の女はいよいよ気色《きしょく》が悪くなった。
椽《えん》を左に突き当れば西洋館で、応接間につづく一部屋は欽吾が書斎に使っている。右は鍵《かぎ》の手に折れて、折れたはずれの南に突き出した六畳が藤尾の居間となる。
菱餅《ひしもち》の底を渡る気で真直《まっすぐ》な向う角を見ると藤尾が立っている。濡色《ぬれいろ》に捌《さば》いた濃き鬢《びん》のあたりを、栂《つが》の柱に圧《お》しつけて、斜めに持たした艶《えん》な姿の中ほどに、帯深く差し込んだ手頸《てくび》だけが白く見える。萩に伏し薄《すすき》に靡《なび》く故里《ふるさと》を流離人《さすらいびと》はこんな風に眺《なが》める事がある。故里を離れぬ藤尾は何を眺めているか分らない。母は椽を曲って近寄った。
「何を考えているの」
「おや、御母《おっか》さん」と斜《なな》めな身体を柱から離す。振り返った眼つきには愁《うれい》の影さえもない。我《が》の女と謎の女は互に顔を見合した。実の親子である。
「どうかしたのかい」と謎が云う。
「なぜ」と我《が》が聞き返す。
「だって、何だか考え込んでいるからさ」
「何にも考えていやしません。庭の景色を見ていたんです」
「そう」と謎は意味のある顔つきをした。
「池の緋鯉《ひごい》が跳《は》ねますよ」と我は飽くまでも主張する。なるほど濁った水のなかで、ぽちゃりと云う音がした。
「おやおや。――御母《おっか》さんの部屋では少しも聞えないよ」
聞えないんではない。謎で夢中になっていたのである。
「そう」と今度は我の方で意味のある顔つきをする。世はさまざまである。
「おや、もう蓮《はす》の葉が出たね」
「ええ。まだ気がつかなかったの」
「いいえ。今|始《はじめ》て」と謎が云う。謎ばかり考えているものは迂濶《うかつ》である。欽吾と藤尾の事を引き抜くと頭は真空になる。蓮の葉どころではない。
蓮の葉が出たあとには蓮の花が咲く。蓮の花が咲いたあとには蚊帳《かや》を畳んで蔵へ入れる。それから蟋蟀《こおろぎ》が鳴く。時雨《しぐ》れる。木枯《こがらし》が吹く。……謎の女が謎の解決に苦しんでいるうちに世の中は変ってしまう。それでも謎の女は一つ所に坐《すわ》って謎を解くつもりでいる。謎の女は世の中で自分ほど賢いものはないと思っている。迂濶だなどとは夢にも考えない。
緋鯉ががぽちゃりとまた跳ねる。薄濁《うすにごり》のする水に、泥は沈んで、上皮だけは軽く温《ぬる》む底から、朦朧《もうろう》と朱《あか》い影が静かな土を動かして、浮いて来る。滑《なめ》らかな波にきらりと射す日影を崩《くず》さぬほどに、尾を揺《ゆ》っているかと思うと、思い切ってぽんと水を敲《たた》いて飛びあがる。一面に揚《あが》る泥の濃きうちに、幽《かす》かなる朱いものが影を潜めて行く。温い水を背に押し分けて去る痕《あと》は、一筋のうねりを見せて、去年の蘆《あし》を風なきに嬲《なぶ》る。甲野さんの日記には鳥入《とりいって》雲無迹《くもにあとなく》、魚行《うおゆいて》水有紋《みずにもんあり》と云う一聯が律にも絶句にもならず、そのまま楷書《かいしょ》でかいてある。春光は天地を蔽《おお》わず、任意に人の心を悦《よろこ》ばしむ。ただ謎の女には幸《さいわい》せぬ。
「何だって、あんなに跳ねるんだろうね」と聞いた。謎の女が謎を考えるごとく、緋鯉もむやみに跳ねるのであろう。酔狂《すいきょう》と云えば双方とも酔狂である。藤尾は何とも答えなかった。
浮き立ての蓮の葉を称して支那の詩人は青銭《せいせん》を畳むと云った。銭《ぜに》のような重い感じは無論ない。しかし水際に始めて昨日、今日の嫩《わか》い命を托して、娑婆《しゃば》の風に薄い顔を曝《さら》すうちは銭のごとく細かである。色も全く青いとは云えぬ。美濃紙《みのがみ》の薄きに過ぎて、重苦しと碧《みどり》を厭《いと》う柔らかき茶に、日ごとに冒《おか》す緑青《ろくしょう》を交ぜた葉の上には、鯉の躍《おど》った、春の名残が、吹けば飛ぶ、置けば崩れぬ珠《たま》となって転がっている。――答をせぬ藤尾はただ眼前の景色を眺《なが》める。鯉はまた躍った。
母は無意味に池の上を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みつめ》ていたが、やがて気を換えて
「近頃、小野さんは来ないようだね。どうかしたのかい」と聞いて見る。
藤尾は屹《きっ》と向き直った。
「どうしたんですか」とじっと母を見た上で、澄してまた庭の方へ眸《ひとみ》を反《そ》らす。母はおやと思う。さっきの鯉が薄赤く浮葉の下を通る。葉は気軽に動く。
「来ないなら、何とか云って来そうなもんだね。病気でもしているんじゃないか」
「病気だって?」と藤尾の声は疳走《かんばし》るほどに高かった。
「いいえさ。病気じゃないか[#「ないか」に傍点]と聞くのさ」
「病気なもんですか」
清水《きよみず》の舞台から飛び降りたような語勢は鼻の先でふふんと留った。母はまたおやと思う。
「あの人はいつ博士になるんだろうね」
「いつですか」とよそごとのように云う。
「御前《おまい》――あの人と喧嘩《けんか》でもしたのかい」
「小野さんに喧嘩が出来るもんですか」
「そうさ、ただ教えて貰やしまいし、相当の礼をしているんだから」
謎の女にはこれより以上の解釈は出来ないのである。藤尾は返事を見合せた。
昨夕《ゆうべ》の事を打ち明けてこれこれであったと話してしまえばそれまでである。母は無論|躍起《やっき》になって、こっちに同情するに違ない。打ち明けて都合が悪いとは露思わぬが、進んで同情を求めるのは、餓《うえ》に逼《せま》って、知らぬ人の門口《かどぐち》に、一銭二銭の憐《あわれみ》を乞うのと大した相違はない。同情は我《が》の敵である。昨日《きのう》まで舞台に躍る操人形《あやつりにんぎょう》のように、物云うも懶《ものう》きわが小指の先で、意のごとく立たしたり、寝かしたり、果《はて》は笑わしたり、焦《じ》らしたり、どぎまぎ[#「どぎまぎ」に傍点]さして、面白く興じていた手柄顔を、母も天晴《あっぱ》れと、うごめかす鼻の先に、得意の見栄《みえ》をぴくつかせていたものを、――あれは、ほんの表向で、内実の昨夕《ゆうべ》を見たら、招く薄《すすき》は向《むこう》へ靡《なび》く。知らぬ顔の美しい人と、睦《むつま》じく御茶を飲んでいたと、心外な蓋《ふた》をとれば、母の手前で器量が下がる。我が承知が出来ぬと云う。外《そ》れた鷹《たか》なら見限《みきり》をつけてもういらぬと話す。あとを跟《つ》けて鼻を鳴らさぬような犬ならば打ちやった後で、捨てて来たと公言する。小野さんの不心得はそこまでは進んでおらぬ。放って置けば帰るかも知れない。いや帰るに違ないと、小夜子と自分を比較した我が証言してくれる。帰って来た時に辛《から》い目に逢《あ》わせる。辛い目に逢わせた後で、立たしたり、寝かしたりする。笑わしたり、焦らしたり、どぎまぎ[#「どぎまぎ」に傍点]さしたりする。そうして、面白そうな手柄顔《てがらがお》を、母に見せれば母への面目は立つ。兄と一《はじめ》に見せれば、両人《ふたり》への意趣返《いしゅがえ》しになる。――それまでは話すまい。藤尾は返事を見合せた。母は自分の誤解を悟る機会を永久に失った。
「さっき欽吾が来やしないか」と母はまた質問を掛ける。鯉は躍《おど》る。蓮《はす》は芽《め》を吹く、芝生はしだいに青くなる、辛夷《こぶし》は朽《く》ちた。謎の女はそんな事に頓着《とんじゃく》はない。日となく夜となく欽吾の幽霊で苦しめられている。書斎におれば何をしているかと思い、考えておれば何を考えているかと思い、藤尾の所へ来れば、どんな話をしに来たのかと思う。欽吾は腹を痛めぬ子である。腹を痛めぬ子に油断は出来ぬ。これが謎の女の先天的に教わった大真理である。この真理を発見すると共に謎の女は神経衰弱に罹《かか》った。神経衰弱は文明の流行病である。自分の神経衰弱を濫用《らんよう》すると、わが子までも神経衰弱にしてしまう。そうしてあれの病気にも困り切りますと云う。感染したものこそいい迷惑である。困り切るのはどっちの云い分か分らない。ただ謎の女の方では、飽くまでも欽吾に困り切っている。
「さっき欽吾が来やしないか」と云う。
「来たわ」
「どうだい様子は」
「やっぱり相変らずですわ」
「あれにも、本当に……」で薄く八の字を寄せたが、
「困り者だね」と切った時、八の字は見る見る深くなった。
「何でも奥歯に物の挟《はさま》ったような皮肉ばかり云うんですよ」
「皮肉なら好いけれども、時々気の知れない囈語《ねごと》を云うにゃ困るじゃないか。何でもこの頃は様子が少し変だよ」
「あれが哲学なんでしょう」
「哲学だか何だか知らないけれども。――さっき何か云ったかい」
「ええまた時計の事を……」
「返せって云うのかい。一《はじめ》にやろうがやるまいが余計な御世話じゃないか」
「今どっかへ出掛けたでしょう」
「どこへ行ったんだろう」
「きっと宗近へ行ったんですよ」
対話がここまで進んだ時、小野さんがいらっしゃいましたと下女が両手をつかえる。母は自分の部屋へ引き取った。
椽側《えんがわ》を曲って母の影が障子《しょうじ》のうちに消えたとき、小野さんは内玄関《ないげんかん》の方から、茶の間の横を通って、次の六畳を、廊下へ廻らず抜けて来る。
磬《けい》を打って入室相見《にゅうしつしょうけん》の時、足音を聞いただけで、公案の工夫《くふう》が出来たか、出来ないか、手に取るようにわかるものじゃと云った和尚《おしょう》がある。気の引けるときは歩き方にも現われる。獣《けもの》にさえ屠所《としょ》のあゆみと云う諺《ことわざ》がある。参禅《さんぜん》の衲子《のうし》に限った現象とは認められぬ。応用は才人小野さんの上にも利《き》く。小野さんは常から世の中に気兼をし過ぎる。今日は一入《ひとしお》変である。落人《おちゅうど》は戦《そよ》ぐ芒《すすき》に安からず、小野さんは軽く踏む青畳に、そと落す靴足袋《くつたび》の黒き爪先《つまさき》に憚《はばか》り気を置いて這入《はい》って来た。
一睛《いっせい》を暗所《あんしょ》に点ぜず、藤尾は眼を上げなかった。ただ畳に落す靴足袋の先をちらりと見ただけでははあと悟った。小野さんは座に着かぬ先から、もう舐《な》められている。
「今日《こんにち》は……」と座りながら笑いかける。
「いらっしゃい」と真面目な顔をして、始めて相手をまともに見る。見られた小野さんの眸《ひとみ》はぐらついた。
「御無沙汰《ごぶさた》をしました」とすぐ言訳を添える。
「いいえ」と女は遮《さえぎ》った。ただしそれぎりである。
男は出鼻を挫《くじ》かれた気持で、どこから出直そうかと考える。座敷は例のごとく静である。
「だいぶ暖《あった》かになりました」
「ええ」
座敷のなかにこの二句を点じただけで、後《あと》は故《もと》のごとく静になる。ところへ鯉《こい》がぽちゃりとまた跳《はね》る。池は東側で、小野さんの背中に当る。小野さんはちょっと振り向いて鯉が[#「鯉が」に傍点]と云おうとして、女の方を見ると、相手の眼は南側の辛夷《こぶし》に注《つ》いている。――壺《つぼ》のごとく長い弁《はなびら》から、濃い紫《むらさき》が春を追うて抜け出した後は、残骸《なきがら》に空《むな》しき茶の汚染《しみ》を皺立《しわだ》てて、あるものはぽきりと絶えた萼《うてな》のみあらわである。
鯉が[#「鯉が」に傍点]と云おうとした小野さんはまた廃《や》めた。女の顔は前よりも寄りつけない。――女は御無沙汰をした男から、御無沙汰をした訳を云わせる気で、ただいいえ[#「いいえ」に傍点]と受けた。男は仕損《しま》ったと心得て、だいぶ暖《あったか》になりましたと気を換えて見たが、それでも験《げん》が見えぬので、鯉が[#「鯉が」に傍点]の方へ移ろうとしたのである。男は踏み留《とど》まれるところまで滑《すべ》って行く気で、気を揉《も》んでいるのに、女は依然として故の所に坐って動かない。知らぬ小野さんはまた考えなければならぬ。
四五日来なかったのが気に入らないなら、どうでもなる。昨夕《ゆうべ》博覧会で見つかったなら少し面倒である。それにしても弁解の道はいくらでもつく。しかし藤尾がはたして自分と小夜子を、ぞろぞろ動く黒い影の絶間なく入れ代るうちで認めたろうか。認められたらそれまでである。認められないのに、こちらから思い切って持ち出すのは、肌を脱いで汚《むさ》い腫物《しゅもつ》を知らぬ人の鼻の前《さき》に臭《にお》わせると同じ事になる。
若い女と連れ立って路を行くは当世である。ただ歩くだけなら名誉になろうとも瑕疵《きず》とは云わせぬ。今宵限《こよいかぎり》の朧《おぼろ》だものと、即興にそそのかされて、他生《たしょう》の縁の袖《そで》と袂《たもと》を、今宵限り擦《す》り合せて、あとは知らぬ世の、黒い波のざわつく中に、西東首を埋《うず》めて、あかの他人と化けてしまう。それならば差支《さしつかえ》ない。進んでこうと話もする。残念な事には、小夜子と自分は、碁盤の上に、訳もなく併《なら》べられた二つの石の引っ付くような浅い関係ではない。こちらから逃げ延びた五年の永き年月《としつき》を、向《むこう》では離れじと、日《ひ》の間《ま》とも夜の間ともなく、繰り出す糸の、誠は赤き縁《えにし》の色に、細くともこれまで繋《つな》ぎ留《と》められた仲である。
ただの女と云い切れば済まぬ事もない。その代り、人も嫌い自分も好かぬ嘘《うそ》となる。嘘は河豚汁《ふぐじる》である。その場限りで祟《たたり》がなければこれほど旨《うま》いものはない。しかし中毒《あたっ》たが最後苦しい血も吐かねばならぬ。その上嘘は実《まこと》を手繰寄《たぐりよ》せる。黙っていれば悟られずに、行き抜ける便《たより》もあるに、隠そうとする身繕《みづくろい》、名繕、さては素性《すじょう》繕に、疑《うたがい》の眸《ひとみ》の征矢《そや》はてっきり的《まと》と集りやすい。繕は綻《ほころ》びるを持前とする。綻びた下から醜い正体が、それ見た事かと、現われた時こそ、身の※[#「金+肅」、第3水準1-93-39]《さび》は生涯《しょうがい》洗われない。――小野さんはこれほどの分別を持った、利害の関係には暗からぬ利巧者《りこうもの》である。西東隔たる京を縫うて、五年の長き思の糸に括《くく》られているわが情実は、目の前にすねて坐った当人には話したくない。少なくとも新らしい血に通《かよ》うこの頃の恋の脈が、調子を合せて、天下晴れての夫婦ぞと、二人の手頸《てくび》に暖たかく打つまでは話したくない。この情実を話すまいとすると、ただの女と不知《しら》を切る当座の嘘は吐《つ》きたくない。嘘を吐くまいとすると、小夜子の事は名前さえも打ち明けたくない。――小野さんはしきりに藤尾の様子を眺めている。
「昨夕《ゆうべ》博覧会へ御出《おいで》に……」とまで思い切った小野さんは、御出になりましたか[#「御出になりましたか」に傍点]にしようか、御出になったそうですね[#「御出になったそうですね」に傍点]にしようかのところでちょっとごとついた。
「ええ、行きました」
迷っている男の鼻面《はなづら》を掠《かす》めて、黒い影が颯《さっ》と横切って過ぎた。男はあっと思う間《ま》に先《せん》を越されてしまう。仕方がないから、
「奇麗《きれい》でしたろう」とつける。奇麗でしたろうは詩人として余り平凡である。口に出した当人も、これはひどいと自覚した。
「奇麗でした」と女は明確《きっぱり》受け留める。後《あと》から
「人間もだいぶ奇麗でした」と浴びせるように付け加えた。小野さんは思わず藤尾の顔を見る。少し見当《けんとう》がつき兼ねるので
「そうでしたか」と云った。当《あた》り障《さわ》りのない答は大抵の場合において愚《ぐ》な答である。弱身のある時は、いかなる詩人も愚をもって自ら甘んずる。
「奇麗な人間もだいぶ見ましたよ[#「見ましたよ」に傍点]」と藤尾は鋭どく繰り返した。何となく物騒な句である。なんだか無事に通り抜けられそうにない。男は仕方なしに口を緘《つぐ》んだ。女も留ったまま動かない。まだ白状しない気かと云う眼つきをして小野さんを見ている。宗盛《むねもり》と云う人は刀を突きつけられてさえ腹を切らなかったと云う。利害を重んずる文明の民が、そう軽卒に自分の損になる事を陳述する訳がない。小野さんはもう少し敵の動静を審《つまびらか》にする必要がある。
「誰か御伴《おつれ》がありましたか」と何気なく聴いて見る。
今度は女の返事がない。どこまでも一つ関所を守っている。
「今、門の所で甲野さんに逢ったら、甲野さんもいっしょに行ったそうですね」
「それほど知っていらっしゃる癖に、何で御尋ねになるの」と女はつんと拗《す》ねた。
「いえ、別に御伴でもあったのかと思って」と小野さんは、うまく逃げる。
「兄の外《ほか》にですか」
「ええ」
「兄に聞いて御覧になればいいのに」
機嫌は依然として悪いが、うまくすると、どうか、こうか渦《うず》の中を漕《こ》ぎ抜けられそうだ。向うの言葉にぶら下がって、往ったり来たりするうちに、いつの間《ま》にやら平地《ひらち》へ出る事がある。小野さんは今まで毎度この手で成功している。
「甲野君に聞こうと思ったんですけれども、早く上がろうとして急いだもんですから」
「ホホホ」と突然藤尾は高く笑った。男はぎょっとする。その隙《すき》に
「そんなに忙《いそが》しいものが、何で四五日無届欠席をしたんです」と飛んで来た。
「いえ、四五日大変忙しくって、どうしても来られなかったんです」
「昼間も」と女は肩を後《うしろ》へ引く。長い髪が一筋ごとに活《い》きているように動く。
「ええ?」と変な顔をする。
「昼間もそんなに忙しいんですか」
「昼間って……」
「ホホホホまだ分らないんですか」と今度はまた庭まで響くほどに疳高《かんだか》く笑う。女は自由自在に笑う事が出来る。男は茫然《ぼうぜん》としている。
「小野さん、昼間もイルミネーションがありますか」と云って、両手をおとなしく膝の上に重ねた。燦《さん》たる金剛石《ダイヤモンド》がぎらりと痛く、小野さんの眼に飛び込んで来る。小野さんは竹箆《しっぺい》でぴしゃりと頬辺《ほおぺた》を叩《たた》かれた。同時に頭の底で見られた[#「見られた」に傍点]と云う音がする。
「あんまり、勉強なさるとかえって金時計が取れませんよ」と女は澄した顔で畳み掛ける。男の陣立は総崩《そうくずれ》となる。
「実は一週間前に京都から故《もと》の先生が出て来たものですから……」
「おや、そう、ちっとも知らなかったわ。それじゃ御忙い訳ね。そうですか。そうとも知らずに、飛んだ失礼を申しまして」と嘯《うそぶ》きながら頭を低《た》れた。緑の髪がまた動く。
「京都におった時、大変世話になったものですから……」
「だから、いいじゃありませんか、大事にして上げたら。――私はね。昨夕《ゆうべ》兄と一《はじめ》さんと糸子さんといっしょに、イルミネーションを見に行ったんですよ」
「ああ、そうですか」
「ええ、そうして、あの池の辺《ふち》に亀屋《かめや》の出店があるでしょう。――ねえ知っていらっしゃるでしょう、小野さん」
「ええ――知って――います」
「知っていらっしゃる。――いらっしゃるでしょう。あすこで皆《みんな》して御茶を飲んだんです」
男は席を立ちたくなった。女はわざと落ちついた風を、飽《あ》くまでも粧《よそお》う。
「大変|旨《おいし》い御茶でした事。あなた、まだ御這入《おはいり》になった事はないの」
小野さんは黙っている。
「まだ御這入にならないなら、今度《こんだ》是非その京都の先生を御案内なさい。私もまた一さんに連れて行って貰うつもりですから」
藤尾は一さん[#「一さん」に傍点]と云う名前を妙に響かした。
春の影は傾《かたぶ》く。永き日は、永くとも二人の専有ではない。床に飾ったマジョリカの置時計が絶えざる対話をこの一句にちん[#「ちん」に傍点]と切った。三十分ほどしてから小野さんは門外へ出る。その夜《よ》の夢に藤尾は、驚くうちは楽《たのしみ》がある! 女は仕合《しあわせ》なものだ! と云う嘲《あざけり》の鈴《れい》を聴かなかった。
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