2008年11月6日木曜日

「随分遠いね。元来《がんらい》どこから登るのだ」
と一人《ひとり》が手巾《ハンケチ》で額《ひたい》を拭きながら立ち留《どま》った。
「どこか己《おれ》にも判然せんがね。どこから登ったって、同じ事だ。山はあすこに見えているんだから」
と顔も体躯《からだ》も四角に出来上った男が無雑作《むぞうさ》に答えた。
 反《そり》を打った中折れの茶の廂《ひさし》の下から、深き眉《まゆ》を動かしながら、見上げる頭の上には、微茫《かすか》なる春の空の、底までも藍《あい》を漂わして、吹けば揺《うご》くかと怪しまるるほど柔らかき中に屹然《きつぜん》として、どうする気かと云《い》わぬばかりに叡山《えいざん》が聳《そび》えている。
「恐ろしい頑固《がんこ》な山だなあ」と四角な胸を突き出して、ちょっと桜の杖《つえ》に身を倚《も》たせていたが、
「あんなに見えるんだから、訳《わけ》はない」と今度は叡山《えいざん》を軽蔑《けいべつ》したような事を云う。
「あんなに見えるって、見えるのは今朝《けさ》宿を立つ時から見えている。京都へ来て叡山が見えなくなっちゃ大変だ」
「だから見えてるから、好いじゃないか。余計な事を云わずに歩行《ある》いていれば自然と山の上へ出るさ」
 細長い男は返事もせずに、帽子を脱いで、胸のあたりを煽《あお》いでいる。日頃《ひごろ》からなる廂《ひさし》に遮《さえ》ぎられて、菜の花を染め出す春の強き日を受けぬ広き額《ひたい》だけは目立って蒼白《あおしろ》い。
「おい、今から休息しちゃ大変だ、さあ早く行こう」
 相手は汗ばんだ額を、思うまま春風に曝《さら》して、粘《ねば》り着いた黒髪の、逆《さか》に飛ばぬを恨《うら》むごとくに、手巾《ハンケチ》を片手に握って、額とも云わず、顔とも云わず、頸窩《ぼんのくぼ》の尽くるあたりまで、くちゃくちゃに掻《か》き廻した。促《うな》がされた事には頓着《とんじゃく》する気色《けしき》もなく、
「君はあの山を頑固《がんこ》だと云ったね」と聞く。
「うむ、動かばこそと云ったような按排《あんばい》じゃないか。こう云う風に」と四角な肩をいとど四角にして、空《あ》いた方の手に栄螺《さざえ》の親類をつくりながら、いささか我も動かばこその姿勢を見せる。
「動かばこそと云うのは、動けるのに動かない時の事を云うのだろう」と細長い眼の角《かど》から斜《なな》めに相手を見下《みおろ》した。
「そうさ」
「あの山は動けるかい」
「アハハハまた始まった。君は余計な事を云いに生れて来た男だ。さあ行くぜ」と太い桜の洋杖《ステッキ》を、ひゅうと鳴らさぬばかりに、肩の上まで上げるや否《いな》や、歩行《ある》き出した。瘠《や》せた男も手巾《ハンケチ》を袂《たもと》に収めて歩行き出す。
「今日は山端《やまばな》の平八茶屋《へいはちぢゃや》で一日《いちんち》遊んだ方がよかった。今から登ったって中途|半端《はんぱ》になるばかりだ。元来《がんらい》頂上まで何里あるのかい」
「頂上まで一里半だ」
「どこから」
「どこからか分るものか、たかの知れた京都の山だ」
 瘠《や》せた男は何にも云わずににやにやと笑った。四角な男は威勢よく喋舌《しゃべ》り続ける。
「君のように計画ばかりしていっこう実行しない男と旅行すると、どこもかしこも見損《みそこな》ってしまう。連《つれ》こそいい迷惑だ」
「君のようにむちゃに飛び出されても相手は迷惑だ。第一、人を連れ出して置きながら、どこから登って、どこを見て、どこへ下りるのか見当《けんとう》がつかんじゃないか」
「なんの、これしきの事に計画も何もいったものか、たかがあの山じゃないか」
「あの山でもいいが、あの山は高さ何千尺だか知っているかい」
「知るものかね。そんな下らん事を。――君知ってるのか」
「僕も知らんがね」
「それ見るがいい」
「何もそんなに威張らなくてもいい。君だって知らんのだから。山の高さは御互に知らんとしても、山の上で何を見物して何時間かかるぐらいは多少確めて来なくっちゃ、予定通りに日程は進行するものじゃない」
「進行しなければやり直すだけだ。君のように余計な事を考えてるうちには何遍でもやり直しが出来るよ」となおさっさと行く。瘠《や》せた男は無言のままあとに後《おく》れてしまう。
 春はものの句になりやすき京の町を、七条から一条まで横に貫《つら》ぬいて、煙《けぶ》る柳の間から、温《ぬく》き水打つ白き布《ぬの》を、高野川《たかのがわ》の磧《かわら》に数え尽くして、長々と北にうねる路《みち》を、おおかたは二里余りも来たら、山は自《おのず》から左右に逼《せま》って、脚下に奔《はし》る潺湲《せんかん》の響も、折れるほどに曲るほどに、あるは、こなた、あるは、かなたと鳴る。山に入りて春は更《ふ》けたるを、山を極《きわ》めたらば春はまだ残る雪に寒かろうと、見上げる峰の裾《すそ》を縫《ぬ》うて、暗き陰に走る一条《ひとすじ》の路に、爪上《つまあが》りなる向うから大原女《おはらめ》が来る。牛が来る。京の春は牛の尿《いばり》の尽きざるほどに、長くかつ静かである。
「おおい」と後れた男は立ち留《どま》りながら、先《さ》きなる友を呼んだ。おおいと云う声が白く光る路を、春風に送られながら、のそり閑《かん》と行き尽して、萱《かや》ばかりなる突き当りの山にぶつかった時、一丁先きに動いていた四角な影ははたと留った。瘠せた男は、長い手を肩より高く伸《の》して、返れ返れと二度ほど揺《ゆす》って見せる。桜の杖《つえ》が暖かき日を受けて、またぴかりと肩の先に光ったと思う間《ま》もなく、彼は帰って来た。
「何だい」
「何だいじゃない。ここから登るんだ」
「こんな所から登るのか。少し妙だぜ。こんな丸木橋《まるきばし》を渡るのは妙だぜ」
「君見たようにむやみに歩行《ある》いていると若狭《わかさ》の国へ出てしまうよ」
「若狭へ出ても構わんが、いったい君は地理を心得ているのか」
「今大原女に聴《き》いて見た。この橋を渡って、あの細い道を向《むこう》へ一里上がると出るそうだ」
「出るとはどこへ出るのだい」
「叡山《えいざん》の上へさ」
「叡山の上のどこへ出るだろう」
「そりゃ知らない。登って見なければ分らないさ」
「ハハハハ君のような計画好きでもそこまでは聞かなかったと見えるね。千慮の一失か。それじゃ、仰《おお》せに従って渡るとするかな。君いよいよ登りだぜ。どうだ、歩行《ある》けるか」
「歩行けないたって、仕方がない」
「なるほど哲学者だけあらあ。それで、もう少し判然すると一人前《いちにんまえ》だがな」
「何でも好いから、先へ行くが好い」
「あとから尾《つ》いて来るかい」
「いいから行くが好い」
「尾いて来る気なら行くさ」
 渓川《たにがわ》に危うく渡せる一本橋を前後して横切った二人の影は、草山の草繁き中を、辛《かろ》うじて一縷《いちる》の細き力に頂《いただ》きへ抜ける小径《こみち》のなかに隠れた。草は固《もと》より去年の霜《しも》を持ち越したまま立枯《たちがれ》の姿であるが、薄く溶けた雲を透《とお》して真上から射し込む日影に蒸《む》し返されて、両頬《りょうきょう》のほてるばかりに暖かい。
「おい、君、甲野《こうの》さん」と振り返る。甲野さんは細い山道に適当した細い体躯《からだ》を真直《まっすぐ》に立てたまま、下を向いて
「うん」と答えた。
「そろそろ降参しかけたな。弱い男だ。あの下を見たまえ」と例の桜の杖を左から右へかけて一振りに振り廻す。
 振り廻した杖の先の尽くる、遥《はる》か向うには、白銀《しろかね》の一筋に眼を射る高野川を閃《ひら》めかして、左右は燃え崩《くず》るるまでに濃く咲いた菜の花をべっとりと擦《なす》り着けた背景には薄紫《うすむらさき》の遠山《えんざん》を縹緲《ひょうびょう》のあなたに描《えが》き出してある。
「なるほど好い景色《けしき》だ」と甲野さんは例の長身を捩《ね》じ向けて、際《きわ》どく六十度の勾配《こうばい》に擦り落ちもせず立ち留っている。
「いつの間《ま》に、こんなに高く登ったんだろう。早いものだな」と宗近《むねちか》君が云う。宗近君は四角な男の名である。
「知らぬ間に堕落したり、知らぬ間に悟ったりするのと同じようなものだろう」
「昼が夜になったり、春が夏になったり、若いものが年寄りになったり、するのと同じ事かな。それなら、おれも疾《と》くに心得ている」
「ハハハハそれで君は幾歳《いくつ》だったかな」
「おれの幾歳より、君は幾歳だ」
「僕は分かってるさ」
「僕だって分かってるさ」
「ハハハハやっぱり隠す了見《りょうけん》だと見える」
「隠すものか、ちゃんと分ってるよ」
「だから、幾歳なんだよ」
「君から先へ云え」と宗近君はなかなか動じない。
「僕は二十七さ」と甲野君は雑作《ぞうさ》もなく言って退《の》ける。
「そうか、それじゃ、僕も二十八だ」
「だいぶ年を取ったものだね」
「冗談《じょうだん》を言うな。たった一つしか違わんじゃないか」
「だから御互にさ。御互に年を取ったと云うんだ」
「うん御互にか、御互なら勘弁するが、おれだけじゃ……」
「聞き捨てにならんか。そう気にするだけまだ若いところもあるようだ」
「何だ坂の途中で人を馬鹿にするな」
「そら、坂の途中で邪魔になる。ちょっと退《ど》いてやれ」
 百折《ももお》れ千折《ちお》れ、五間とは直《すぐ》に続かぬ坂道を、呑気《のんき》な顔の女が、ごめんやすと下りて来る。身の丈《たけ》に余る粗朶《そだ》の大束を、緑《みど》り洩《も》る濃き髪の上に圧《おさ》え付けて、手も懸《か》けずに戴《いただ》きながら、宗近君の横を擦《す》り抜ける。生《お》い茂《しげ》る立ち枯れの萱《かや》をごそつかせた後《うし》ろ姿の眼《め》につくは、目暗縞《めくらじま》の黒きが中を斜《はす》に抜けた赤襷《あかだすき》である。一里を隔《へだ》てても、そこと指《さ》す指《ゆび》の先に、引っ着いて見えるほどの藁葺《わらぶき》は、この女の家でもあろう。天武天皇の落ちたまえる昔のままに、棚引《たなび》く霞《かすみ》は長《とこ》しえに八瀬《やせ》の山里を封じて長閑《のどか》である。
「この辺の女はみんな奇麗《きれい》だな。感心だ。何だか画《え》のようだ」と宗近君が云う。
「あれが大原女《おはらめ》なんだろう」
「なに八瀬女《やせめ》だ」
「八瀬女と云うのは聞いた事がないぜ」
「なくっても八瀬の女に違ない。嘘だと思うなら今度|逢《あ》ったら聞いてみよう」
「誰も嘘だと云やしない。しかしあんな女を総称して大原女と云うんだろうじゃないか」
「きっとそうか、受合うか」
「そうする方が詩的でいい。何となく雅《が》でいい」
「じゃ当分雅号として用いてやるかな」
「雅号は好いよ。世の中にはいろいろな雅号があるからな。立憲政体だの、万有神教だの、忠、信、孝、悌《てい》、だのってさまざまな奴があるから」
「なるほど、蕎麦屋《そばや》に藪《やぶ》がたくさん出来て、牛肉屋がみんないろは[#「いろは」に傍点]になるのもその格だね」
「そうさ、御互に学士を名乗ってるのも同じ事だ」
「つまらない。そんな事に帰着するなら雅号は廃《よ》せばよかった」
「これから君は外交官の雅号を取るんだろう」
「ハハハハあの雅号はなかなか取れない。試験官に雅味のある奴がいないせいだな」
「もう何遍落第したかね。三遍か」
「馬鹿を申せ」
「じゃ二遍か」
「なんだ、ちゃんと知ってる癖に。はばかりながら落第はこれでたった一遍だ」
「一度受けて一遍なんだから、これからさき……」
「何遍やるか分らないとなると、おれも少々心細い。ハハハハ。時に僕の雅号はそれでいいが、君は全体何をするんだい」
「僕か。僕は叡山へ登るのさ。――おい君、そう後足《あとあし》で石を転《ころ》がしてはいかん。後《あと》から尾《つ》いて行くものが剣呑《けんのん》だ。――ああ随分くたびれた。僕はここで休むよ」と甲野さんは、がさりと音を立てて枯薄《かれすすき》の中へ仰向《あおむ》けに倒れた。
「おやもう落第か。口でこそいろいろな雅号を唱《とな》えるが、山登りはから駄目だね」と宗近君は例の桜の杖《つえ》で、甲野さんの寝《ね》ている頭の先をこつこつ敲《たた》く。敲くたびに杖の先が薄を薙《な》ぎ倒してがさがさ音を立てる。
「さあ起きた。もう少しで頂上だ。どうせ休むなら及第してから、ゆっくり休もう。さあ起きろ」
「うん」
「うんか、おやおや」
「反吐《へど》が出そうだ」
「反吐を吐いて落第するのか、おやおや。じゃ仕方がない。おれも一《ひ》と休息《やすみ》仕《つかまつ》ろう」
 甲野さんは黒い頭を、黄ばんだ草の間に押し込んで、帽子も傘《かさ》も坂道に転がしたまま、仰向《あおむ》けに空を眺《なが》めている。蒼白《あおじろ》く面高《おもだか》に削《けず》り成《な》せる彼の顔と、無辺際《むへんざい》に浮き出す薄き雲の※[#「條の木に代えて栩のつくり」、第3水準1-90-31]然《ゆうぜん》と消えて入る大いなる天上界《てんじょうかい》の間には、一塵の眼を遮《さえ》ぎるものもない。反吐は地面の上へ吐くものである。大空に向う彼の眼中には、地を離れ、俗を離れ、古今の世を離れて万里の天があるのみである。
 宗近君は米沢絣《よねざわがすり》の羽織を脱いで、袖畳《そでだた》みにしてちょっと肩の上へ乗せたが、また思い返して、今度は胸の中から両手をむずと出して、うんと云う間《ま》に諸肌《もろはだ》を脱いだ。下から袖無《ちゃんちゃん》が露《あら》われる。袖無の裏から、もじゃもじゃした狐《きつね》の皮が食《は》み出している。これは支那へ行った友人の贈り物として君が大事の袖無である。千羊《せんよう》の皮は一狐《いっこ》の腋《えき》にしかずと云って、君はいつでもこの袖無を一着している。その癖裏に着けた狐の皮は斑《まだら》にほうけて、むやみに脱落するところをもって見ると、何でもよほど性《たち》の悪い野良狐《のらぎつね》に違ない。
「御山《おやま》へ御登《おあが》りやすのどすか、案内しまほうか、ホホホ妙《けったい》な所《とこ》に寝ていやはる」とまた目暗縞《めくらじま》が下りて来る。
「おい、甲野さん。妙な所に寝ていやはるとさ。女にまで馬鹿にされるぜ。好い加減に起きてあるこうじゃないか」
「女は人を馬鹿にするもんだ」
と甲野さんは依然として天《そら》を眺《なが》めている。
「そう泰然と尻を据《す》えちゃ困るな。まだ反吐《へど》を吐きそうかい」
「動けば吐く」
「厄介《やっかい》だなあ」
「すべての反吐は動くから吐くのだよ。俗界|万斛《ばんこく》の反吐皆|動《どう》の一字より来《きた》る」
「何だ本当に吐くつもりじゃないのか。つまらない。僕はまたいよいよとなったら、君を担《かつ》いで麓《ふもと》まで下りなけりゃならんかと思って、内心少々|辟易《へきえき》していたんだ」
「余計な御世話だ。誰も頼みもしないのに」
「君は愛嬌《あいきょう》のない男だね」
「君は愛嬌の定義を知ってるかい」
「何のかのと云って、一分《いっぷん》でも余計動かずにいようと云う算段だな。怪《け》しからん男だ」
「愛嬌と云うのはね、――自分より強いものを斃《たお》す柔《やわら》かい武器だよ」
「それじゃ無愛想《ぶあいそ》は自分より弱いものを、扱《こ》き使う鋭利なる武器だろう」
「そんな論理があるものか。動こうとすればこそ愛嬌も必要になる。動けば反吐を吐くと知った人間に愛嬌が入るものか」
「いやに詭弁《きべん》を弄《ろう》するね。そんなら僕は御先へ御免蒙《ごめんこうむ》るぜ。いいか」
「勝手にするがいい」と甲野さんはやっぱり空を眺めている。
 宗近君は脱いだ両袖をぐるぐると腰へ巻き付けると共に、毛脛《けずね》に纏《まつ》わる竪縞《たてじま》の裾《すそ》をぐいと端折《はしお》って、同じく白縮緬《しろちりめん》の周囲《まわり》に畳み込む。最前袖畳にした羽織を桜の杖の先へ引き懸《か》けるが早いか「一剣天下を行く」と遠慮のない声を出しながら、十歩に尽くる岨路《そばみち》を飄然《ひょうぜん》として左へ折れたぎり見えなくなった。
 あとは静である。静かなる事|定《さだま》って、静かなるうちに、わが一脈《いちみゃく》の命を託《たく》すると知った時、この大乾坤《だいけんこん》のいずくにか通《かよ》う、わが血潮は、粛々《しゅくしゅく》と動くにもかかわらず、音なくして寂定裏《じゃくじょうり》に形骸《けいがい》を土木視《どぼくし》して、しかも依稀《いき》たる活気を帯ぶ。生きてあらんほどの自覚に、生きて受くべき有耶無耶《うやむや》の累《わずらい》を捨てたるは、雲の岫《しゅう》を出で、空の朝な夕なを変わると同じく、すべての拘泥《こうでい》を超絶したる活気である。古今来《ここんらい》を空《むな》しゅうして、東西位《とうざいい》を尽《つ》くしたる世界のほかなる世界に片足を踏み込んでこそ――それでなければ化石《かせき》になりたい。赤も吸い、青も吸い、黄も紫《むらさき》も吸い尽くして、元の五彩に還《かえ》す事を知らぬ真黒な化石になりたい。それでなければ死んで見たい。死は万事の終である。また万事の始めである。時を積んで日となすとも、日を積んで月となすとも、月を積んで年となすとも、詮《せん》ずるにすべてを積んで墓となすに過ぎぬ。墓の此方側《こちらがわ》なるすべてのいさくさは、肉|一重《ひとえ》の垣に隔《へだ》てられた因果《いんが》に、枯れ果てたる骸骨にいらぬ情《なさ》けの油を注《さ》して、要なき屍《しかばね》に長夜《ちょうや》の踊をおどらしむる滑稽《こっけい》である。遐《はるか》なる心を持てるものは、遐なる国をこそ慕え。
 考えるともなく考えた甲野君はようやくに身を起した。また歩行《ある》かねばならぬ。見たくもない叡山を見て、いらざる豆の数々に、役にも立たぬ登山の痕迹《こんせき》を、二三日がほどは、苦しき記念と残さねばならぬ。苦しき記念が必要ならば数えて白頭に至って尽きぬほどある。裂いて髄《ずい》にいって消えぬほどある。いたずらに足の底に膨《ふく》れ上る豆の十や二十――と切り石の鋭どき上に半《なか》ば掛けたる編み上げの踵《かかと》を見下ろす途端《とたん》、石はきりりと面《めん》を更《か》えて、乗せかけた足をすわと云う間《ま》に二尺ほど滑《す》べらした。甲野さんは
「万里の道を見ず」
と小声に吟《ぎん》じながら、傘《かさ》を力に、岨路《そばみち》を登り詰めると、急に折れた胸突坂《むなつきざか》が、下から来る人を天に誘《いざな》う風情《ふぜい》で帽に逼《せま》って立っている。甲野さんは真廂《まびさし》を煽《あお》って坂の下から真一文字に坂の尽きる頂《いただ》きを見上げた。坂の尽きた頂きから、淡きうちに限りなき春の色を漲《みな》ぎらしたる果《はて》もなき空を見上げた。甲野さんはこの時
「ただ万里の天を見る」
と第二の句を、同じく小声に歌った。
 草山を登り詰めて、雑木《ぞうき》の間を四五段|上《のぼ》ると、急に肩から暗くなって、踏む靴の底が、湿《しめ》っぽく思われる。路は山の背《せ》を、西から東へ渡して、たちまちのうちに草を失するとすぐ森に移ったのである。近江《おうみ》の空を深く色どるこの森の、動かねば、その上《かみ》の幹と、その上の枝が、幾重《いくえ》幾里に連《つら》なりて、昔《むか》しながらの翠《みど》りを年ごとに黒く畳むと見える。二百の谷々を埋《うず》め、三百の神輿《みこし》を埋め、三千の悪僧を埋めて、なお余りある葉裏に、三藐三菩提《さまくさぼだい》の仏達を埋め尽くして、森々《しんしん》と半空に聳《そび》ゆるは、伝教大師《でんぎょうだいし》以来の杉である。甲野さんはただ一人この杉の下を通る。
 右よりし左よりして、行く人を両手に遮《さえ》ぎる杉の根は、土を穿《うが》ち石を裂いて深く地磐に食い入るのみか、余る力に、跳《は》ね返して暗き道を、二寸の高さに段々と横切っている。登らんとする岩《いわお》の梯子《ていし》に、自然の枕木を敷いて、踏み心地よき幾級の階《かい》を、山霊《さんれい》の賜《たまもの》と甲野さんは息を切らして上《のぼ》って行く。
 行く路の杉に逼《せま》って、暗きより洩《も》るるがごとく這《は》い出ずる日影蔓《ひかげかずら》の、足に纏《まつ》わるほどに繁きを越せば、引かれたる蔓《つる》の長きを伝わって、手も届かぬに、朽《く》ちかかる歯朶《しだ》の、風なき昼をふらふらと揺《うご》く。
「ここだ、ここだ」
と宗近君が急に頭の上で天狗《てんぐ》のような声を出す。朽草《くちくさ》の土となるまで積み古《ふ》るしたる上を、踏めば深靴を隠すほどに踏み答えもなきに、甲野さんはようやくの思で、蝙蝠傘《かわほりがさ》を力に、天狗《てんぐ》の座《ざ》まで、登って行く。
「善哉善哉《ぜんざいぜんざい》、われ汝《なんじ》を待つ事ここに久しだ。全体何をぐずぐずしていたのだ」
 甲野さんはただああと云ったばかりで、いきなり蝙蝠傘を放《ほう》り出すと、その上へどさりと尻持《しりもち》を突いた。
「また反吐《へど》か、反吐を吐く前に、ちょっとあの景色を見なさい。あれを見るとせっかくの反吐も残念ながら収まっちまう」
と例の桜の杖《つえ》で、杉の間を指す。天を封ずる老幹の亭々と行儀よく並ぶ隙間《すきま》に、的※[#「白+樂」、第3水準1-88-69]《てきれき》と近江《おうみ》の湖《うみ》が光った。
「なるほど」と甲野さんは眸《ひとみ》を凝《こ》らす。
 鏡を延べたとばかりでは飽《あ》き足らぬ。琵琶《びわ》の銘ある鏡の明かなるを忌《い》んで、叡山の天狗共が、宵《よい》に偸《ぬす》んだ神酒《みき》の酔《えい》に乗じて、曇れる気息《いき》を一面に吹き掛けたように――光るものの底に沈んだ上には、野と山にはびこる陽炎《かげろう》を巨人の絵の具皿にあつめて、ただ一刷《ひとはけ》に抹《なす》り付けた、瀲※[#「さんずい+艶」、第4水準2-79-53]《れんえん》たる春色が、十里のほかに糢糊《もこ》と棚引《たなび》いている。
「なるほど」と甲野さんはまた繰り返した。
「なるほどだけか。君は何を見せてやっても嬉《うれ》しがらない男だね」
「見せてやるなんて、自分が作ったものじゃあるまいし」
「そう云う恩知らずは、得て哲学者にあるもんだ。親不孝な学問をして、日々《にちにち》人間と御無沙汰《ごぶさた》になって……」
「誠に済みません。――親不孝な学問か、ハハハハハ。君白い帆が見える。そら、あの島の青い山を背《うしろ》にして――まるで動かんぜ。いつまで見ていても動かんぜ」
「退屈な帆だな。判然しないところが君に似ていらあ。しかし奇麗だ。おや、こっちにもいるぜ」
「あの、ずっと向うの紫色の岸の方にもある」
「うん、ある、ある。退屈だらけだ。べた一面だ」
「まるで夢のようだ」
「何が」
「何がって、眼前の景色がさ」
「うんそうか。僕はまた君が何か思い出したのかと思った。ものは君、さっさと片付けるに限るね。夢のごとしだって懐手《ふところで》をしていちゃ、駄目だよ」
「何を云ってるんだい」
「おれの云う事もやっぱり夢のごとしか。アハハハハ時に将門《まさかど》が気※[#「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64]《きえん》を吐いたのはどこいらだろう」
「何でも向う側だ。京都を瞰下《みおろ》したんだから。こっちじゃない。あいつも馬鹿だなあ」
「将門か。うん、気※[#「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64]を吐くより、反吐《へど》でも吐く方が哲学者らしいね」
「哲学者がそんなものを吐くものか」
「本当の哲学者になると、頭ばかりになって、ただ考えるだけか、まるで達磨《だるま》だね」
「あの煙《けぶ》るような島は何だろう」
「あの島か、いやに縹緲《ひょうびょう》としているね。おおかた竹生島《ちくぶしま》だろう」
「本当かい」
「なあに、好い加減さ。雅号なんざ、どうだって、質《もの》さえたしかなら構わない主義だ」
「そんなたしかなものが世の中にあるものか、だから雅号が必要なんだ」
「人間万事夢のごとしか。やれやれ」
「ただ死と云う事だけが真《まこと》だよ」
「いやだぜ」
「死に突き当らなくっちゃ、人間の浮気《うわき》はなかなかやまないものだ」
「やまなくって好いから、突き当るのは真《ま》っ平《ぴら》御免《ごめん》だ」
「御免だって今に来る。来た時にああそうかと思い当るんだね」
「誰が」
「小刀細工《こがたなざいく》の好《すき》な人間がさ」
 山を下りて近江《おうみ》の野に入れば宗近君の世界である。高い、暗い、日のあたらぬ所から、うららかな春の世を、寄り付けぬ遠くに眺《なが》めているのが甲野さんの世界である。